春季演劇研修会 脚本部門報告          (文責 川村信治)         
 
はじめに  
 是非ともの感想の半分を初めに書いておきます。
 今回の脚本部門の研修は、脚本研修としては、これまでで最も成功したものだったと思います。全国的にも通いの二日間で成し遂げた成果としては、めずらしいくらい貴重な、他にも紹介して誇れるようなものだったと思います。
 私の学校から参加した生徒の一人(松川といいます)は、1日目の夜中、脚本を書き続けて朝方6時過ぎに書き上げた時の気持ちをこんな風に語っています。
「最後の『。』を書くときには(鈴江さんが仰ったとおり)すごい達成感があったので、その横に自分の気持ちを書きたいぐらいだった。気持ちを書いて、『1987年5月1日(誕生日)〜2005年6月4日、われここに死す』ぐらい書いてもいいくらいの気持ちだった。」鈴江さんは「いつも自分の作品の終わりには”おしまい。”と書く、と仰ったので、彼女は”おちまい。”と書いたそうだ。こういう気持ちに成れた彼女をわたしはほめたい。
 30人のほぼ全員がこのように書き上げた。(おまけに6人の顧問もそれぞれ書き上げた。)書き上げることの意味はきわめて大きく、一人一人がこれだけの時間に書き上げるような研修はきわめて珍しいというか、難しいことを成し遂げたものである。さて、どうしてこんなことが可能になったのだろう。
 
第一幕 第一場
 幕が上がると鈴江さんがみんなの前に立っていた。
 彼が持ち前ではなく自ら育てた饒舌を尽くして語りたかったことは、ごく少数のことである。 曰く、演劇とは変なものだし、演劇をやる者はおかしいし、まともでないし、後ろ指さされるし、恥ずかしいことをやっているし、・・・。(ちなみに鈴江さんは高校では野球部員。)高校で演劇をやるのは、周りから 変な目で見られるから、まあまあ道から外れることもないが、大学では堂々と周りを威圧し、強引に周りに認めさせながら力づくでやってしまうので、本当に変な人になってしまう。まず、生活リズムや生活習慣は狂ってしまう。まして30才で脚本を書くような人間になると、住んでいる周りの人から、あやしい人物だと特定されざるを得ない。
 曰く、身体を鍛えれば筋肉痛になる。ではやってみよう。
 みんなで床に向かって腕立て伏せをする。あごがつくまで深く。自分の限界回数までやる。限界を2回ほど超えて無理するのがベスト。一回もできない人はひざをついて。一分おいて2セット目をやる。2セット目は一回目の70%くらいで限界になるはず。これを本当はさらにもう一回やる。
 こういう練習をすれば初めは当然筋肉痛になる。(わたしは見事に三日間筋肉痛になった。)運動競技などで鍛えた経験のある人は、筋肉痛は当然だと思うから、例えばリハビリを続けることができるが、経験の無い人はこれは身体に悪いと思ってやめてしまう。筋肉痛はいいことだし、いいことを意味があるだけすれば筋肉痛になる。
 さて以上のようなことからの帰結として、脚本を書いてみようとすることは、二重に「痛い」ことをすることになる。まず演劇に関わるということで。次に精神的に筋肉痛になることで。
 実際、脚本の講習をまじめに受けて、書こうとして、コメントをもらって、というようなことをすれば、精神的な痛みをたくさん感じることになる。最大の痛みは自分で自分がだめだと否定せざるをえないような情況である。簡単には書けない自分をいやというほど知るだろうし、書けるとしても、あまりうまく書けない現実を知るだろう。
 しかし、それらは筋肉痛なのである。だから、いい痛みだし、その痛さ故に講習を否定したり、書こうとすることを下らないことだと思い込んだり、投げ出したりしてはいけないのだ。また、書けた曉に感じるつらさも、前もって当然のものだと覚悟しておいた方がよい。
 これも言いたいことだが(と鈴江さんは言う)、脚本を書くのは実際なまやさしいことではない。夜中明け方までかかるし、睡眠時間は十分確保することが前提条件なので(なぜなら脚本は何より脳で書くので、脳のコンディションが悪くていいものは書けない)、昼間寝ていなければならないし、そうすると自分は社会の落伍者だと痛いほど思い知ることになるし、書いている間中、喜びなんて全くない。
 だが、書き上げたときには少なくともこれで解放されるという喜びで、「おしまい。」と書けるし、本番が終わって知り合いでない人から受ける称賛は、そこで自分は死にたいと思うくらいだ。
 神様が降りてきて自分に書かせてくれた、なんていう言い方は信用しない。あくまでも自分が書くのであり、自分の脳や手が苦労しているのであり、そういう言い方をする人の作品は大したものでもない。(大したものでないから、そういう言い方で皆にいいと思わせたがっているに過ぎない。)
鈴江「とにかくめちゃめちゃしんどいんだが、だからここでは私が演劇の神様になり、絶対的な権威としてみなさんに為すべきことを押しつけよう。とにかく絶対最後まで書ききるのだ。」
 
 第二場
 神たる鈴江さんに、全員がそれぞれ宣言をする。宣言は三通りのうち一通りを選ぶやりかたである。すなわち、自分は15分のものを書くのか、30分ものか、60分ものか。全員の宣言が終わった。居合わせた顧問も全員宣言した。この誓約は神のお目付役たる玉村神官によって、帳面に記録された。
 ここで、すでに日は高く昇り、子午線に近づくこと角度約1°となる。ようやくにして、いよいよ脚本の中身に関わる話が始まる。この残された10分のうちに、(実際は25分を要して)、肝心なことをメモで書いてみる。肝心なこととは、何を隠そう劇を作るとは、人間の心を現すことなのだ。現されたものが、真実な人間の心であるかどうかは、現そうとした心の想像、観察、取材、等の深さによる。それが一番やりやすいのは、身近な者を対象にするか、自分を対象にするか、いずれにしても具体的な対象を持つことである。どうしても自分を対象にし、自分の心を研究することは他にまさる。言いかえれば脚本には自分が出る。
 こうした具体的な対象によって個を追求し、個を描くことで、普遍に到達するものなのだ。というか、それが劇のやり方なのだ。
 無論、書きたくも何もないことを書こうとしても、殺伐とした魅力のないものしか書けない。追求する個とは、自分が本当に書きたいと思うもの。言い換えれば伝えたいもの、書きたいことが十分に自分の内側で形成されなければ、いいものは書けないし、最後まで到達するのも難しい。
 で、何(誰)を対象にし、どんな心を書きたいのか、それを各自メモして、若者も若くない者も空腹の危機を乗り越えるために、食物を求め、脳に短い睡眠の一服という準備を怠らぬ者は睡眠をとったのである。
 
 <休憩>
 
第二幕 第三場
 ここで、皆ペアーをつくる。相棒をつくることは誰にとってもいつでも運命的なことに違いなく、きわめて重大なことに違いないが、この時の決定方法は既に決定されて名簿に書き込まれている通りに従う、というものである。この研修会の状況では構成的エンカウンターの視点から観ても最も優れた決定方法だと筆者は信じる。これで決まった。
 さて、鈴江式脚本創作法のステップ講習が始まるわけだが、ここでこのステップを書いておこう。
@人物・・・どんな人か?
A状況・・・何が困りごとか? 
B解決策は何?
C失敗する。・・理由、事件、原因
D再挑戦。気づいて。別次元に。あきらめ、等。
 理論的にはこれを忠実に書いていけば、誰でも書けることになる。ただし、誰でもというには条件があって、書くことで生じる苦しみ、「筋肉痛」をしのいだ者に限られる。
 Aの状況設定について、それぞれ自分の脚本について考えながらも、ペアーでお互いの設定について相談に乗り合った。困りごととは、根本的には人間関係にかかわってあるので、困りごと(問題)について、二人で意見を交換してみるというのは、非常に的を射た生産的なやり方ではないかと私は思う。また人間関係や集団の構造は二人から始まるので、例えば演劇部で集団創作するにあたって、脚本の状況を相談し始めるためのやり方の基礎も、身をもって学べたのではないかと思う。
 次にはBの解決策。解決策を考えて、また二人で意見交換する。解決策も、この後の失敗の仕方も、再挑戦の展開も、できるだけ意外なものが望ましい。それが観客を楽しませる方法であり、それが劇をすることの意味でもあり、それが劇というものでもある。(たとえ予想通りにことが運んだように見えても、何か裏切るものがあった方がいい。)
 解決策で劇が進むが、そうは問屋が卸さずに失敗する。どんな風に失敗するのかを自分で考え、ペアーで意見交換する。脚本構成作業はまさに自己との対話で自己の思想が鍛錬される過程に他ならず、それをより生産的に行うには、ソクラテスが提唱したごとく対話法によるのがいい。対話とはこれまた劇の本質でもある。登場人物が互いに「そうだそうだ」で納得しながら進むのでは意味がない。互いに違うことをぶつけ合う。互いに「好きだ好きだ」では恋愛は本当らしく見えない。喧嘩をし合っている姿が、観客に「仲がいいな」と思わせる。セリフの展開は違う人格の違う発言によってつくられる。細かな言葉も。
 失敗をした後の展開は、劇によって個性的であっていい。再挑戦してもいいし、あきらめるという展開でもいい。ただ、気づきがあったり、別次元へ出た方がいい。たとえあきらめでも、それは最初とは違ったものになっている。何かを悟った結果だったりする。人間の抜けきれないさがを表現したものであったり。
 全体を通して想像力を働かせなければいけないことは言うまでもない。登場人物の心や、こういう状況でどういう反応をするのか、その結果何が起こるか、等々。想像力の厳しさによって、リアリティーも本当の意外さも生まれる。
 
 第四場
 というところで、日はすでにやや西へ移り、正に3時の方角にあった。シャーペンを手に、書き始めたい気持ちを抑えに抑えていた参加者達は、ここでようやく自分の欲求のままに書き始めることが許されたのである。ペアーの相手にセリフを返してもらいながら書いてもいい、という指示があったにもかかわらず、そのような方法を採ったチームは一つだけで、他はたちまち静かになり、たちまち芯が紙を噛む音が室内に流れ始めた。部屋を出て他のどこで書いても良いという指示も出て、実際屋外へ出かけた人や、階下の図書館へ滑るように侵入していった人もいる。無論、そこで書くために必要な資料・情報を検索した人もいる。
 たちまち五時になり、その日の研修時間は終わった。翌日の予定が告げられたが、それによると、翌朝始まりの時に、できあがった脚本を提出すること。そのあと各自推敲をしてもよいが、とにかく朝までには一応の完成をさせておくべきことと申し渡された。
 ゆっくりと晩春の夕陽の中、溶暗。
 
第三幕 第五場  <家路。夜>
 この夜にこそ、密かにも主要なドラマが展開した。まず、人村さんと鈴江さんを囲んでの食事会は、8人の顧問の参加で楽しくも有意義な語り合いが行われた。まさに劇を語り合うこと二時間半。前夜一睡もしておられないという鈴江さんを気遣って、早めに終わろうと言いながら人一倍多くを語ってしまった筆者は、いつものことながら自己嫌悪に陥ったのであった。閉店を過ぎて追い出されて、ようやくそれぞれの家路とホテルへ。
 しかし、自己嫌悪に浸るのもほどほどにして、脚本の続きを書き始めた。他の人たちはもう二時間半先を行っているに違いなかった。 
 ある人は0:00まで書いて、そこで一旦眠ることにした。ある人は、家にある資料を駆使して台本の資料確認をした。それから書き始めて、延々。ある人は、眠気に飲み込まれないように、パソコンを高い台の上に置いて、立ってキーを打ち続けた。夜中2時に書き上げて、バンザイと叫んで眠った人もいる。アメをなめたり、ポテチを食べたり、コーヒーを飲んだりしながら書き続けた人もいる。たぶんおかげで翌日は胸が悪かった。胃も痛かった。(私は幸い、0:30過ぎに書き終わり、余裕でプリントアウトしながら風呂に入って眠った。)多くの人のために夜は着々と過ぎ、やがて外が白み始め、日が昇って来た。朝方6:00過ぎに書き上げて、最後の「。」をつけて、これで死んでもいいと思ってわずかな眠りへ入った者もいる。
 太陽は再び空でその運動を始めた。その朝をどんな気持ちで、どんなコンディションで迎えたかは、人によって大きく異なる。結局一睡もせずにそのまま二日目の研修会へやって来た人もいれば、結局やってきてから、午前中をかけて書き終えた人も。頭痛、胃痛、眠気、自己嫌悪、・・・、そして筋肉痛。
 
第三幕 第六場
 自分で誓った通りの時間の脚本とは、与えられた用紙の枚数で、7枚、15枚、30枚程度になる。これを全員の分コピーするのは大変な作業になる。顧問達の何人かが交替でこの作業にかかりきりになるのが、昼前であった。
 その前に。生徒達はここで二つの大きなグループに分かれた。書ききって来た人は3人〜4人のグループを作って、リーディングをする。リーディングをした結果、直したいところや、こうしたらもっとよくなる、と仲間からアドバイスを受けたところを書き直す。もちろん、良いところをほめたたえる。文字が声になるということはとても重要で、それ自体書いたことを褒め称えることになる。リーディングにふされてはじめて、脚本が生きたものになる。
 顧問達は顧問だけでグループをつくって、リーディングを行った。当然のことながらあらためてそれぞれ非常に個性的な作品ばかりで、リーディングのひとときを非常に楽しんだ。県大会の閉会式前くらいに、顧問達のドラマリーディングを発表するといいのではないか、と筆者は思った。
 他の、未完成のグループはひたすら完成を急ぐ。完成すれば、完成したもの同志でリーディングに入れる。一人、二人と書き上がる。
 どちらも最終的に出来たものを神たる鈴江さんに提出する。鈴江さんから印刷へ渡される。
 
 第七場
 二日目の午後はテーブルが片づけられ、椅子を輪にして座った。このサークルの中で発表をする。
 脚本を作ったら是非ともそれを部活で読んで、リーディングでもいいから練習して、他の人に発表すべきである。発表の形式は教室を一つ借りて、机を寄せて、出来た空間で椅子を輪にしてお客さん(友達など)に座ってもらい、その中でやればいい。
 輪の中で芝居をやるのは、舞台でやるのとは違う緊張感があり、鍛錬になる。後ろが安全でなく、スキをつくれない。客も緊張感があり、その緊張感がおもしろい。(筆者は鈴江さんの作品『トマト、と』でこれを経験した。)
 これからも脚本づくり−−リーディング、稽古−−上演というのを繰り返していけば、書き手の実力は上がるし、部員が一回につき二人ぐらい増えるし、一石二鳥である。
 さて、とりあえず発表されたのは、朝に書けていたグループの中で、生徒が推薦した作品の一つ、北陸高校の友田絢子さんの『雨上がり。花、開く』(仮)であった。非常に洗練された、しかも十代の繊細さが、弦の音にふるえているような、そのふるえが観ている人によく伝わる作品であった。ほぼ一日で、これだけのものが書けるのだ。他の人たちもそれぞれすばらしいものを持った作品を書いた。
 二時過ぎから始まったホールでの全体研修では、代表として、生徒ではただ一人60分ものを書くと誓約した仁愛高校の谷口はるかさんの作品が発表された。60分という長編でありながら、第三場にある構造がしっかり構築されていて、意外性も面白みもあり、高校生の実像も伝わってくる、かなりの力作であった。仁愛高校は今年の県大会はこの作品でいくのであろうか?
 印刷はとうてい終わりそうに無かった。が、結局2,3人の生徒作品と、顧問作品を残して他は印刷され、参加者に持ち帰られた、参加者一人が受け取ったプリント枚数は百枚を超えている。しかもこの後、鈴江さんからそれぞれの提出した宿題と、脚本に対するコメントが届くことになっている。
 たぶん、二人の人が最後まで書き上げられなかったのではないかと思う。きっと、この人たちは人並み以上に自分の書くものを大事にしようとしているのではないかと思う。あるいは生きるリズムがゆっくりしているといううらやむべき性質を持っている。この後、完成した曉には、是非顧問を通じて玉村神官を経由して鈴江さんに届けて欲しいし、よしんばついに未完成に終わったとしても、世の中の創作者は多くが未完成作品を残して、人生を歩んでいるのだということを忘れないでいただきたい。決して、書き上げた人に比べて書き上げられなかった人がダメだったりはしない。
 皆、実際的な成果を手に、達成感と満足感と、青春の熱い疲労感とのうちに、家路についた。乗り物の中で眠ってしまった人がいたのは当然のことである。翌日の日曜日が明けて、月曜日になっても、ぼーっとしていた人がいても不思議ではない。
                            
おわりに
 福井県でもこれまで、脚本・演出部門の研修会が何度かあり、私も少し見てきたが、色々な面で最高に成功した、今回の研修会であったと思う。
 その秘密は、以上の七場からみなさんで見つけていただければいいが、少しまとめてみると。
一人ひとりが自分の作品を書く、というスタイルがよかった。集団創作はむずかしい。話し合いながら、みんなで作るのは、各自が書いていくより時間も手間も、関係性の能力も必要とする。一口に言って面倒だ。宿泊のない研修で夜書くというのも、各自だからできることだった。 しかしながら、二人組での意見交換というスタイルがあったことは、それぞれが今後部活内で、集団創作をしようと思えばできる基礎を与えた。
 それにしても各自が書ききったのには、モチベーションと覚悟の形成を促す作業が必要であったが、それには時間をかけすぎるほどかけて、その気にさせた講師の戦略が効を奏したかもしれない。
 ここに今回の成功のポイントがあることは事実だが、ここに反省もあるのではないかと思う。というのは、この段階で1日目の午前中を使い切った。そのために、書き始めたのが午後3時で、これはどうしても夜中に書かざるを得ない時間設定である。夜中に書くのは、身体のリズムをすぐに戻さなければならない学校生活というものを営んでいる我々にとっては、厳しいものがある。顧問から昨年度の反省としても、夜の宿題は避けて欲しいと要望が出ていた。個人的に私も徹夜というのは、非常に苦手な身体を持っている。
 1,2時間のことではあるが、書き始める時間が少しでも早くなるというのは、全体として非常に大きな差になることは、経験上理解されることだと思う。
 できれば、1時間ほどでモチベーションと覚悟の形成を一応終えて、構造づくりを進めながら、そのつどモチベーションを高める工夫ができると、もっとよかったのではないか。
 また、印刷作業が膨大で、しかも結局研修内では印刷物を使わない。仮に後で印刷するというのが大変なのは分かるが、印刷にかかる顧問たちがせっかくの講習を目に出来ないという不利益がある。
 印刷枚数を減らすために、パソコンを用意して、パソコンで書ける生徒はそれで書いて、二段組で裏表印刷などにすれば、研修後印刷していただくにしても枚数は減ると思われる。昨年はプリントアウトに時間がかかって大変だったが、プリンターの台数をたくさんにしておけば、研修中にもできるかもしれない。いずれにしても、このあたりの技術的な検討が必要だと思う。 それはともかく、自分の作品を30人以上の生徒顧問がものにした、という成果は絶大なものがあると思う。一年に一回でも十分意味のある成果だが、これを何らかの形で、秋や冬にもひっぱりたいという、玉村委員長の発言もあった。
 進行の端々で発せられる鈴江さんの演劇哲学も、参加者の中に無意識のうちに吸収されたことも、言うまでもない。