『電車男と女』 
 
 
 
スポットライトが中央の椅子4脚を照らす。
奥の上手側の椅子に誰かが座っている(電車の中をイメージして)
立ち上がって振り返り、少し前へでる(OLっぽく)
 
見物人 さて、私はこの作品の解説者であり、後に現れる二人の実に勝手な見物人である。他人とよそよそしさが飽和状態になるまでつめこまれたこの20時36分発の満員電車の中で、私はその二人に出会った。もちろん二人は私が毎夜偶然にも同じ車内に乗り合わせている事を知らない。私は二人の事をいつもそっと見守っている。それ故に私は見物人であり、解説者である事ができるのだ…。この電車の中でだけ。……って、あっ、ちょっとそこの君!今私の事を口パクでストーカーって言ったでしょ!言った!確かに言った!ま…待て!この野郎…生かしておくものかぁー!!
 
見物人、舞台下手へ走って去る。
スポットライトが消えて暗くなる。
電車の音がガタンゴトンとずっと流れている。
再びスポットライトがつくとカナコが登場し、手前上手の椅子に急いで座る。
隣の席にはかばんを置き、膝の上にはクラリネットのケースを乗せる。
 
カナコ (のびをしながら)あーあぁ。よかったぁ。なんとか今日も座れたよ。見たところヒロスエもいないし。ジュースでも飲んでゆるりと…
 
ドタバタした音。カナコ、下手を見て唖然とする
 
ヒロスエ クラリネットちゃぁぁぁーん!
 
声とともにヒロスエが走ってやってくる。
椅子の近くまでやってくるとひどくばててる。
 
カナコ おーい…大丈夫?
ヒロスエ おーOKOK!!いやー、でも今回はかなり激しい戦いだったねぇ。さっきのスライディングなんてダルビッシュ君も裸で逃げ出す…
カナコ いや、ほら。被害者の皆様が。
ヒロスエ (走ってきた方向を見て)あらー…皆様すいません。この尊い犠牲…決して無駄にはいたしません!!どうぞ、次の便にお乗りくださいまし〜(手を振って)
カナコ というかね。ヒロスエ君…。これまでにさっきの変人的スライディングで電車の外にはじき出された被害者はもう百人を越えたと思うのだけど。
 
カナコ、かばんを床に置く。そこにヒロスエが座る。ごく自然に。
 
ヒロスエ 大丈夫!たとえ闇討ちに遭ったとしても、この俺のバーナード・ショウさんゆずりのスペシャルトークで地球人皆フレンドリー☆
カナコ 何を言ってんだか…。あんな捨て身のスライディングを毎日してたら、いつか朝青龍みたいな人が乗ってきて吹き飛ばされちゃうかもしれないよぅだ。
ヒロスエ ………。
カナコ どうしたの?
ヒロスエ いや、今頭の中でシュミレーションしてみたんだよ。相当怖かったぁー。
カナコ そーだそーだ。相手が誰であっても本当はそう思うべきなんだぞー?
 
見物人、笑顔で手をこすりながら登場。
 
見物人 さて、このヒロスエという少年とクラリネットと呼ばれる女の子。二人は同じ高校の一年生である。クラリネットの女の子の本当の名前は…確かカナコだ。が、数週間前にヒロスエが、カナコの奏でるクラリネットの音色に感動したそのときから、カナコはクラリネットちゃんというあだ名をつけられてしまった。二人がこうして同じ電車で、隣同士の席で帰るようになったのもその時かららしい。
カナコ ところでヒロスエ君。漫研の活動の方はどうなってるの?
ヒロスエ え?今なんて?
カナコ (あたりを気にしながら)ま・・・漫研よ!ま・ん・け・ん!!なんでいきなり入部することにしたのよ。もう、私のクラスにまで情報が入ってるんだから。意外だ、意外だって。
ヒロスエ う〜ん・・・。何故って言われても。強烈な先輩がいてね。部室の前を通りかかったら、引きずり込まれちゃって。
カナコ わぁ…、ますます意外だ。でも何で入部に踏み切ったの?その気になったら、いくらでも断る事はできたでしょ?
ヒロスエ もちろん!俺のスピーチは岩だってハートだってつらぬく!
カナコ はいはい。教室と教室の間の壁まで貫いちゃってるよ。今日は社会の近藤先生いびってたでしょ。ヒトラーとか小泉総理とか。ブッシュはバカ野郎だぁ!とか色々聞こえてきたよ?
ヒロスエ いや違う。今日の標的は生物の越前先生だ。
カナコ えぇ!?じゃぁ何で歴史上の人物ばっかりあげてたのよ。
ヒロスエ チッチッチ…。甘いぜクラリネットちゃん。相手は生物のエキスパートなんだぜ?生物についての知識は俺より遥かに上なのは確実!そんな越前と一戦交わすには同じ土俵に立ってちゃいけないんだ!
カナコ だから社会で対抗を?
ヒロスエ 火には水、土には植物、数学には国語、生物には社会だ!
カナコ (しばらく考えて)…まぁ、ブッシュさんたちも一応生物だし…いっかぁ。…ってあれ?私達結局何の話してたんだっけ?
ヒロスエ おいおい、漫研だろ?
カナコ あ。そうだったわね。で、結局なんで入ったの?実は漫画に興味があったとか?
ヒロスエ …俺は何のために高校に行くのか、よく分からないまま入学しちゃったからなぁ。なんのために通っているのか、その先には何があるのか。何も見えないし、それは今も変わらないんだよ。だから先輩に言い寄られたとき…上手く言い返せなかった。俺には寄り道する所も、用事も、特に何も無いから。
カナコ ……。
ヒロスエ …まぁ、クラリネットちゃんの音色を聞けるだけで!
カナコ 答えにはなってないんだけどねっ。
ヒロスエ …?
カナコ 今、ヒロスエ君の話聞いてね、私少し尊敬しちゃったんだ。
ヒロスエ え?マイナス思考の塊みたいな発言だったと思うんだけど…。
カナコ あのね、ヒロスエ君はむやみに話をふっかけたりしない人なんだなぁって思ったの。まとっている事や、自分の中で答えが出ていないこと、ノリで相手に押し通そうとしないんだね。
ヒロスエ そう…なのか?
カナコ そうなんだよ。だから漫研入っちゃったんでしょ?
ヒロスエ うーん…まぁ。
カナコ 自分で選択したものだけを信じて、伝えて。とりあえず、私はすごいと思う。
ヒロスエ …あー。
カナコ 何?
ヒロスエ クラリネットちゃんと放すと、ペースが乱れるなぁ…。
カナコ そう?
ヒロスエ なんだかなぁ!あれ、クラリネットちゃん今日は家に帰っても練習なんだ?
カナコ え?…あぁ、そうよ。コンクールの曲難しくってね。
ヒロスエ へぇ…どんな曲なの?
カナコ なんというか…激しい曲よ。どこかの植民地が、自分達の自由のために勇ましく戦う曲。終盤は開放された喜びの舞が鳴り響いて…ひどく幸せそう。
ヒロスエ なんだか興味深いねぇ。ま、俺はクラリネットちゃんの音色が大活躍してくれれば問題ないんだけどね。
カナコ またそんな事言って。吹奏楽はね、一人一人に大切な役割…そう、使命があるんだから!全ての音がその使命を果たして、曲が曲となったときにはすっごく感動するんだからねっ。
ヒロスエ 熱いねぇ。
カナコ そんなものじゃぁないのよ!そうよ。炎そのものなの。だからこそ…完璧に吹かなければならなくて…。
ヒロスエ クラリネットちゃんがクラリネットに意気込んでいることはとても良い事である!(アナウンス「次は武生ー。武生です」)…っとうわっ、もう着いちゃったんだ!よし。なら帰るかぁ!
カナコ あっ、そうか。もう着いちゃったんだ。
ヒロスエ まったく、早いもんだよなぁ。それじゃぁね。クララ〜。
カナコ (何か言いかけてやめる)…何がクララよぉ!せっかくなんだから、大・スペクタクルな漫画でも書いちゃえ!!
ヒロスエ おぉ、まかせときぃ〜。
 
ヒロスエ下手へ慌てて移動。
しばらくした後、カナコため息をつく。
 
見物人 いつも二人のやりとりはお互いを励まし勇気付けるもので、傍で見ているこっちもあたたかくなった。ところが…なんだかカナコは最近変だ。ヒロスエが居なくなった途端、ひどく暗い顔になる…。
 
カナコ、クラリネットのケースを抱きかかえてうずくまる。
 
見物人 あぁっ、もう。どうしたっていうのだろう?
 
いきなり声がする。カナコの声。騒音が止む。
 
カナコ 怖いよ…もうイヤだ!
見物人 ……あれ?今…何か、不思議な声が聞こえなかった?
 
見物人、耳を済ませる。しかし何も聞こえない。
気のせいだろうと思いかけたところへまた声が響く。
 
カナコ もうクラリネットなんて吹きたくないんだ!
見物人 …え?…クラリネット…?
 
見物人、カナコを凝視する。
カナコは相変わらずうずくまっている。
 
見物人 今のは…カナコの声なのだろうか?それも、心のそこからしぼりだしたカナコの届かない叫びだろうか?
 
見物人、カナコに近寄る。
声をかけようとするが、ためらう。しかし思い直して元の位置に戻ろうとする。
しばらくそれを繰り返すが、やはり声をかける決意をする。
 
見物人 あのう…
 
カナコ、起き上がる
 
カナコ …あ、はい。何でしょう…?
見物人 えっ!?あ、いや、その…隣、座ってもいいでしょうか?
カナコ あぁ。どうぞ、遠慮なく。
 
見物人、カナコの隣の椅子に座る。
カナコ、またうずくまろうとする。見物人、慌てて話し掛ける。
 
見物人 あっ、あのぅ…ですね…。
カナコ ……はい?
見物人 こっ…高校生っていうのも、なかなか大変ですよねっ!
カナコ …はぁ。
見物人 いやっ、あの、私はね、学生の頃に吹奏楽部に入っていたんですよ。それ、クラリネットでしょう?
カナコ あっ、はい!お姉さんもクラリネットを?
見物人 いえ…私はホルンを吹いていたんです。
カナコ へぇっ、ホルンを。
見物人 初めはね、特徴の無い音だと思ってたんです。でも、たくさんの曲を吹いて沢山怒られていくうちに、やっと求められるものが分かってきたんですよ。
カナコ 求められるもの…。
見物人 ホルンは音に広がりを与えるの。それにとても優しくてどんな楽器も輝かせるの。嬉しかったなぁ。
カナコ …クラリネットは音を導きます。局を弾ませたり、すばやく舞を舞ったり。
見物人 そう。カナ…あなたはクラリネットが好きみたいね。
カナコ …今は、あまり…。
見物人 …どうして?
カナコ クラリネットと自分が重ならなくて。
見物人 うん。
カナコ 私はクラリネットさえ吹いていれば、それでいいという奴なんです。でも、今練習している曲はひたすら未来に向けて輝いている、そんなイメージなんです。その曲のことを考えると私は寂しくなるんです。皆を導く役割のハズなのに、取り残された気分になって…。こんなこと初めてなんです。
見物人 そのこと…誰か他の人に相談した?
カナコ いえ。…一人この事を伝えられそうな男の子はいます。…でも私、彼の話を聞いているばかりで。
見物人 なら伝えるべきよ!
カナコ …え?……でも、いいんです。今、お姉さんに話を聞いてもらえてずいぶん楽になりました。
見物人 そんなことを言ってるんじゃぁ無いわよ。
カナコ え?
見物人 分かりあわなくちゃ。あなたは…その男の子に信頼されているんじゃないの?その子は、あなたのクラリネットが好きなんじゃぁないの?
カナコ ……はい。彼は私のクラリネットの音色を、とても好きだって言ってくれます。だからこそ、悩んでいるなんて知られたくないって意地張っちゃって…。
見物人 カナコ!
カナコ えぇっ!?なんで、私の名前…
見物人 高校での出会いを私は大切にして欲しいのよ。クラリネットもそう、ヒロスエ君のこともそう。カナコは未来が見えない時かもしれない。でもちゃんと未来は待っているから。社会は冷たくて寂しい事が沢山あるの。だからカナコ、もっと自由になって。彼に話せば…またクラリネットが好きになると思うから!
 
しばらく間がある。そしてアナウンス。
 
アナウンス 次はー、終点、終点でーす。
見物人 さようならっ!!
カナコ あっ、待って……!
 
見物人、走り去る。
カナコ、あぜんとして見送る。しばらくして、
 
カナコ ……よしっ!
 
カナコ、背伸びをして意気揚揚と退場。その一歩手前で前を向く。
 
カナコ その不思議なお姉さんには、それっきりもう会うことは無かった。後に私が就職した音楽会社で、彼女と再会するのはまた別の話である。
 
カナコ、退場する。