幸福な午後    川村信治   二〇〇五年六月三日
 
 
   明るい午後。上手の部屋で母親がベッドに横たわり、本を読んでいる。
   下手の部屋では息子が椅子で本を読んでいる。
   中央はこたつと椅子のある居間。
   やがて、母親が枕元のベルを押し、居間のベルが鳴る。
   息子は本を置いて、母親の部屋へ。
 
 
母  おかあさんはいないんか?
息子 光子は咲子の試合について行ったんや。
母  そうか・・。
息子 寝返りか?
母  いや、そうじゃないけど。
息子 おむつか?
母  うん・・。
 
ふとんをめくって、おむつを変える。
母はうんうんうなり、時々「いたい」と声をあげる。
 
息子 だいぶん重たくなっってるんや。(大きな声で)一頃やせていたのに
   な。
母  何?
息子 (母の耳元で)神経痛やらなんやらで食欲が無かった時には、やせて
   たけど、また太って来た。
母  ん・・。
息子 リハビリでもしてエネルギーを使わんと。
母  また、そんなこと言う。おまえらは、私が無理なのがわからんのや。
息子 足を持ち上げることもできんようになってしまうやろ。足をとんとん
   動かすだけでも、違うのに。
母  早くいなくなればいいんやけど。
息子 そんなこと言ってないやろ。
母  もう本を読むのも大儀やし。
 
   おむつを換え終わる。
    間 
 
息子 もう、昼ご飯にするか?
母  食べたくもないけど。
息子 まあ、起きねんの。
 
   かけたふとんを再びめくり、母親が起きあがるのを待つ息子。
最後は手を貸して起きあげる。車いすを準備して、母をかかえて乗せ
る。かなり、重い。あとで、息子は自分の腰をさする。
 
息子 ブレーキを外して。(母がはずす。)足で(ステップを)倒して。(母
   が時間をかけてステップを倒す。完全ではないので、息子が最後は手
   伝う)
 
   車いすで居間へ。今度は車いすから椅子へ移動させる。足をこたつに
   入れる。
息子は台所へ入ってお盆に載せた食事を母親に運んでくる。それから
自分の分も運んできてこたつに入る。母はため息をついている。
 
息子 光子の用意したものにため息つくと、光子が傷つくんやで、あかんや
   ろ。
母  ・・食べられんのや、味は薄いし。
息子 一口でも口に入れねんの。
母  パンはないんか。
息子 クリームパンばっかり食べてるから、・・栄養は偏るし、体重が増え
   るんやがの。
母  そやけど、食べられんのや。ご飯は。口が痛いし。
 
息子がため息をついて、台所へ立ち、クリームパンを持ってくる。
母親がそれを食べる。
息子 強情やの。
母  え?
息子 (大きな声で)強情や。
母  なんやってか。
息子 (もっと大きな声で)強情やって。
 
母コップの牛乳を飲み、口元に少しこぼれて、こたつの上にあるティ
ッシュの箱を指さす。息子気が付いてその箱を差し出す。
 
母  ありがと。
 
母が薬の入った箱を指さす。
 
息子 まだ、食べ終わらんやろ。薬は食べ終わってからにしねん。
 
 
母  おかあさんはいつ帰るんや。
息子 夕方になるやろ。
 
   母がパンを食べ終わって、また箱を指さす。
 
息子 せめて、声を出さなあかんて。声を出すだけでもエネルギーを使って
   体重が増えんから。
母  ・・・。
息子 何がほしいんや。
母  ・・・。
息子 言ってみて。
母  箱。
 
息子が箱を渡す。
 
母  ありがと。
 
母が薬を飲んで。
   息子が新聞を母に渡す。拡大鏡をつけて、新聞を読む母。
   息子は食事を片づける。
   間
 
母  「向畑(むこうばた)」の中村与菜さん、ていう人が死んだんやは。この人、私 
   の同級生の娘さんじゃないやろか。  
息子 中村さん?
母  中村与之介っていうんや。
息子 同級生の名前が?・・いくつ?
母  七一才って書いてあるな。
息子 娘さんが?
母  うん。
息子 与之介さんは、同級生やから九一才か?
母  生きてれば、な。
息子 亡くなったんか?
母  だいぶん前に。・・与之介さんが死んで、同窓会が終わったんや。も
   う、来れる人も四人ほどになったし。
息子 ・・。
母  八〇才のときやった。
息子 よく覚えてるな。
母  ・・。
息子 娘さんは結婚せなんだんか?
母  婿取りやったんやろ。男の子がいなんだんや。
 
   間
   新聞を読みながら、こっくりと居眠りする母。
 
息子 (母が目を開けた時に)部屋入るか?
母  うん。
息子 (立って車いすを用意しながら)きょうはいい天気や。外出てみるか?
母  どうしようかな。
息子 玄関のテッセンがたくさん咲いたし。
母  持ってきてくれや。
息子 一緒に見に行って、一つ持ってきたらいいし。せーの。
 
   車いすに母を乗せ、母の部屋へ行って靴下と帽子を持ってくる息子。
   
息子 足を上げて。(片方ずつ靴下をはかせながら)こっちも。
 
   帽子をかぶせて車いすをバックで母親の部屋へ入れ、そのままベッド
   の側を通り抜けて、上手袖の中へ向かってスロープを取り付け、一旦
   下手前の袖へ出て自分の靴を取ってくると、スロープに靴を置いて、
   車いすをバックさせながら、袖に消える。
   上手袖前から、再び現れるが、そこは家の玄関前である。
   時計草のつるが伸びて軒にからまり、テッセンのつるにはたくさんの
   花が咲いている。 
 
母  おお。
息子 咲いたやろ。
母  ようさいたもんやな。ははは。
 
   花の数を数えている息子。
 
息子 六一や。
母  え、なんやって?
息子 六一咲いてる。
母  ほっほう。六一もか。
息子 まだ一つ二つつぼみが残ってる。
母  見事に咲いたもんや。
息子 うん。
 
   間
 
母 (時計草のつるを見上げながら)こっちはよう伸びたな。もうすぐ咲く
   やろ。 
息子 時計草な。
母  これも、たくさん咲くな。
息子 二百ほどある。
母  たくさんの花芽やなあ。
息子 うん。
 
   間
   家の西側へ回る。
 
母  杉の木をみんな切ってもて、広々としたけど。
息子 うん。うちの庭の杉も、ほら。
母  竹がここまで広がってくるぞ。
息子 竹?
母  ほら、あの。
息子 ああ。・・来るかなここまで。
母  そのうち、竹藪になるわ。
息子 ・・・。
母  (サルスベリに目を留めて)あれも、上の方きれいに切ってもたんや
   な。
息子 うん。また枝が広がっていたからな。
母  枝も無いな。
息子 すぐ出てくるやろ。
母  そうかな。
息子 夏までには何本か伸びて、今年も少しは花が咲くやろ。
母  そうかな。
 
   間
 
母  よう太うなったなあ。
息子 うん。これだけ太いサルスベリはなかなか無いな。
母  私が嫁入りで来た時に、あっちから持って来たんやけど。
息子 向畑の家からやの。
母  その時はほんの指の太さほどのもんやったのが。
息子 うん。
母  こんなに太くなってなあ。
息子 うん。
母  実家のサルスベリはもうこれよりは小さいやろな。
息子 うん。
母  木の根元に出ていた、細いのを持って来たんやけど。元の木よりも大
   きくなってもてなあ。
 
   間
 
息子 ほんで、この木は七〇年ほどになるんや、な。
母  そうなるかなあ。
息子 これは特に赤いし、みんなが見るし。
母  こんだけ切ると、小屋の陰になってまうな。
息子 また伸びるやろ。
母  日もあたるやろか?
息子 大丈夫や。
 
   間
 
息子 つつじもほら、咲きはじめた。
母  花が少ないな。
息子 まだこれからや。
母  そうか。
 
   間
 
息子 しばらく、日にあたってねん。
母  うん。
 
   息子はいくつか鉢を持ってきて、土を入れ、それに花の種をまく。 
 
母  何の花や?
息子 (袋を見せながら)マーガレット。
母  そうか。
 
   花に水をやる。
 
息子 入るか?
母  うん。
 
  出て来たのと反対の経路をたどり、上手袖から、母親の部屋に入ってく
   る。車いすのタイヤを拭いて、母親の帽子を取り、靴下を脱がせて、
   車いすからベッドへ移動させようとすると。
 
母  久しぶりにパズルをしようかな。
息子 え。・・そうか。ほんじゃ、こたつへ行くか。
 
   こたつの椅子へ移動。
   息子がつくりかけのジグソーパズルを出してくる。
 
息子 久しぶりやのう。
母  だいぶんほっといたな。
息子 うん。何ヶ月ぶりかや。
母  え?
息子 (大きい声で)何ヶ月かぶり。
母  おお。そうやな。できるかな。
息子 一つでも二つでも入ればいいし。
 
   パズルを始める母親。息子はしばらく側で立って見ているが、そのう
   ち母親の横に座って、パズルを手伝おうとする。
 
母  (ピースを手にパズルをのぞき込みながら)咲ちゃんは、ソフトボー
   ルか。
息子 (やはりパズルをのぞき込みながら)そうや。
母  お前が野球やってたで、あの子もやりたかったんやろ。
息子 さあ、どうかな。僕が言うたわけじゃないんやけど。
母  きょうは試合か。
息子 うん。
母  おかあさん、応援してるんか。
息子 そうや。
母  いつ帰ってくるんや。
息子 夕方やろ。
 
   間
 
息子 強情なところ、僕も似たんやな。
母  え?
息子 (大きな声で)強情なとこ。僕も似た。
母  はっはは。そうかな。
息子 バカにされるくらいなら、その人とつきあわん、て。
母  そうやな。そう思うんか、お前も。
 
   二人はパズルを続けている。静かにそっと音楽が流れる。
   やがて息子は眠くなって、座ったまま母親の足にもたれて眠ってしま
   う。しばらくして、母親もこっくりと居眠りを始める。
   幸福な音楽の静けさの中で、幕。