犬を蹴飛ばしたり、あるいは。      玉村 徹
 
 
キャスト
  誠   男子高校生だったりそうじゃなかったり
  康子  女子高校生だったりそうじゃなかったり
  先生  先生だったりなんか別の生き物だったり
 
 
 
*教室らしき空間。
放課後らしき時間。
机。椅子。適当な黒板。
黒板をきれいにしようとしている康子。こっそり逃げだそうとする誠。康子、振り向きもせず誠に声をかける。
 
康子 でも嬉しいなあ。やっとみんなもやる気になってくれたわけだ。なんたって、学校祭まで日がないわけだし。もう、決めなくちゃね、なにやるんだか。なのにうちだけ決まってないっていうんだからやばいよね、クラス企画。いいかげんみんなで集まって決めないと、もうダメだよね。
なのにさ、「残ってねー、そんでみんなで話し合って何やるか決めようねー」ってあたしが言ってるのに、気がつくとだーれものこってなくてさ、
 
*誠、そろそろと逃げようとしていたが、ぎく、と立ち止まる。
 
康子 あたしがこーやって黒板とか拭いてるじゃない。時間にしてそうね、1分かそこら? 大した時間じゃないよね。なのに、はっと気がつくともう誰もいないの。なんだろ、あの素早さ。音もしないしさ。忍者? 絶対靴の音とかすると思うんだけど、やっぱアレ、みんな裸足になってたわけ? 鞄とかバッグ両手にもって、てことは靴は口にくわえてかな。ね、みんなそんなことマジでやってたわけ?
 
*誠、そのまんまの格好をしている。
 
康子 まさかね。そこまでするわけないよね。ほんというとさ、ちょっと疑いかけてたんだよね、みんなのこと。やっぱりさ、今日もさぼっちゃうんじゃないだろうか、やっぱりにげちゃって、そんでやっぱり何にも決まらなくて、あたし一人でクラス企画考えなくちゃならなくなって、みたいな。でもよかった、やっぱりみんなを信用してて。疑ったあたし、ちょっとブラックだったよね。ブラックあたし? 「私を打て、セリヌンティウス」って感じよね。疑った悪い私サヨナラ、すてきな友情こんにちは、って感じよね。
 
*黒板に「2年5組クラス企画」「みんなは一人のために、一人はみんなのために」「ああ、友情って素晴らしい」「走れメロス。」「メロンが食べたい」「関係ないよね」とかわけのわかんないコトを書きはじめる。
 
誠 わかってるんだろ。
 
康子 ・・・うん。
 
誠 だったらその。
 
康子 わかるわよ、いくらなんでも。
 
誠 だったら。
 
康子 だったら何。
 
誠 いや、なんでも。
 
*康子、くるっと振り向く。思い切りの笑顔。
 
康子 さあ、みんな、今日みんなに残ってもらったのは、クラス企画の内容を決めるためです。
 
誠 あ、あのさ。
 
康子 学校祭も目前に迫ってきた今日この頃、わがボンボコ高校3年5組としても、クラスとして何をやるのか、決めなくてはならない時期になりました。
昨年は担任の先生の提案により、合唱をやろうということになり、曲も指揮者も伴奏者も決まったものの、誰一人としてまじめに歌おうとせず、それどころか練習をさぼる生徒が続出する事態となりました。それでもなんとか学校祭当日までこぎつけ、まあなんとか「合唱」でなくとも「合唱みたい」なものにはなったので、これでやれやれ発表は出来るぞと担任およびクラス企画委員は胸をなで下ろしていたが、いよいよ次はうちのクラスの発表だという、そのときになって大量のエスケープ者が出て、もちろん発表は不可能、担任およびクラス委員は全校生徒の前で「ごめんなさい」「申し訳ありません」と平謝りにつとめたのは、記憶に新しいところです。
 
誠 わ、わかった。あんときは、あんときのことは、その。
 
康子 あたし、全然根に持ってないからね、誠。
 
誠 ・・・持ってるだろうが。
 
康子 ほんとちっとも。過去のことにこだわるなんて、あたしはそんなに心のせまい人間ではございません。「若者は過去の悲しい思い出にこだわることなく、常に新しい未来に向かって歩み続けなくてはならないのです。それこそが若者の特権であり、若者であることの証明なのであります。」
 
誠 ああ、校長?
 
康子 毎月言ってるからね。たいてい覚えるよ。
 
誠 「だからこそ、みなさんは毎日を悔いのないように生きてほしい。後になって、ああ、こんなはずじゃなかった、そんな悲しい人生ほど悲しい人生はないのであります」
 
康子 うまいじゃん。
 
誠 「とりわけ、来たるべき学校祭こそは、みなさんの高校生活の最高のイベント、青春の血と汗と涙の結晶であります。みなさんの知恵と勇気と団結力を振り絞ってすばらしい学校祭にしていただきたい。応援、作り物、文化部発表、そしてクラ」・・・あ。
 
康子 どした。
 
誠 いやその。
 
康子 続けなよ、その先。
 
誠 いやまあその。
 
康子 いいから、その先。
 
誠 そして・・・そして、クラス企画・・・に君たちの青春を・・・青春を・・・。
 
康子 わかってるんじゃない!
 
誠 いやだから。
 
康子 なのに、なによこれ! こんなんで出来ると思ってるの! こんなんで、どうなっちゃうのよ、うちのクラス!
 
誠 いや、その気持ちは分かるけど。
 
康子 こんなんでできるわけないじゃない! あたしはやだからね、また謝るの。今年は、やだからね。
 
誠 はいはい。
 
康子 だいたい・・・だいたい、なんでみんないなくなっちゃうのよ! なんでみんなあたしに押しつけんのよ!
 
誠 お、俺は!
 
康子 なに。
 
誠 お、俺は、残ってるぞ、ほら。  
 
康子 ふうん。
 
誠 なんだよ、それ。
 
康子 まあ、いいわ。じゃ、提案してごらんよ。
 
誠 て、提案?
 
康子 あのね。
 
誠 あ、ああ、提案だろ、提案。わかってるさ。もちろん。もちろん、ばしっと企画は考えてるさ。あったりまえだろ。
 
康子 ほほう。なら、言ってみな。
 
誠 言ってみな? ああ、いいよ、言ってやるよ。ええと、まず。
 
康子 また合唱なんて言わないだろうね。
 
誠 ま、まさか。そんなこというわけないだろ。ええと、まず、ええと、ほら、あれだ、うちのクラスは団結力がない。だから、合唱なんてのは無理だ。
 
康子 ま、まあそうね。
 
誠 現にいまだって俺たち二人しかいない。だから、大人数必要なものはやめたほうがいい。合唱とかダンスとか、そういうのだな。
 
康子 うん。確かにそうね。
 
誠 だろ。だから、もっと少ない人数でも出来るヤツがいい。それと、うちの連中は飽きっぽいから、みんなが「これだ」ってと思えるようなノリのいい企画でなきゃダメだ。
 
康子 うん。それはそう・・・理屈だよね。
 
誠 へっ、どうだ、少しは見直したろ、俺のこと。こう見えて実は俺、理論派だったんだよね。俺に惚れるなよ?
 
康子 それで?
 
誠 へ?
 
康子 だからそれで。どういう企画? 少人数でも出来て、ノリのいい企画って。
 
誠 それは・・・それは。
 
康子 それは?
 
誠 それは・・・ええと、その・・・ええ。
 
康子 え?
 
誠 え・・・。
 
康子 え?
 
誠 え・・・え・・・え、演劇だ!
 
康子 はあ?
 
誠 演劇だよ。俺たちで演劇やるんだ。
 
康子 あんた、馬鹿?
 
誠 そうとも、演劇。これが俺の出した答えだ。おれたち若者の青春と汗と涙をぶつけられるのは演劇しかない! 今、時代は演劇! 演劇こそがナウいのだ!
 
康子 あんた誰よ。
 
誠 自分たちでテーマを見つけて、自分たちで脚本を書いて、そして自分たちで演じ、舞台にしていく。これほど素晴らしい活動がほかにあるだろうか。
 
康子 ・・・ふうん。
 
誠 現代人は心が渇いている。ものだけは豊かになったけれど、心と心のふれあいに飢えている。家庭は崩壊し校内は暴力し老人は孤独に死んでいく。いまこそ、心の文化を復活させよう。精神の豊かさを取り戻そう。そのために、いま、僕たち3年5組は、あえて、演劇に挑戦するのだ! ・・・なんてな。まあ、無理だろうから、ボツにしてくれていいぞ。
 
*意外なことに、康子が涙ぐんでいる。焦る誠。
 
誠 お、おい。
 
康子 ・・・うれしい。
 
誠 は?
 
康子 うれしいよぉ、誠が・・・いっつもあんぽんたんな誠が、そんなすごいこと考えてたなんて、あたし、すごく嬉しい。
 
誠 おまえ、何いってんだ。 
 
康子 今日の誠、すっごくかっこいいよ。で、どうしたらいい? 誠がそこまで言うんなら、あたし、ヒロインやる。病魔に冒される薄幸の美少女でも、インターハイを目指すスポーツ万能の美少女でも、いじめに立ち向かう勇気ある美少女でも、なんでもやってみせる。
 
誠 なにいってんだかわかんねえよ。
 
康子 そんでー、相手役はー、えっとー。
 
誠 気持ち悪いぞ、おまえ。
 
康子 あたしのこと嫌い?
 
誠 話が見えないぞ。
 
康子 まさか好きな子とかいるわけ? やだ、いままで隠してたんだ、ひどい。女の子の気持ちもてあそんで、嬉しい?
 
誠 あのさ、おまえ何言ってんだか。
 
康子 誰よ。うちのクラス? わかった、あの巨乳女の美鈴でしょ。じゃなかったらFカップのマドカ? どっこがいいんだか、あんなホルスタイン。男ってみんな馬鹿よね、あんな牛女のどこがいいのよ。女はね、大きさじゃないのよ、感度よ感度。
 
誠 だからお前。
 
*先生が入ってくる。なぜだか、白衣を着ている。
 
先生 はーい、おはようございます。みなさん、元気ですかー。
 
誠 あ、先生!
 
康子 ちっ。もう少しのところで。
 
先生 ちっ?
 
康子 なんでもありません。
 
誠 僕、先生が神様に見えます。    
 
先生 なんだかわかりませんけど・・・とにかく、もういっぺんやり直しますね。みなさん、おはようございまーす。ええと、今日の授業はこの前の続きで。
 
康子 なにいってんですか、先生。
 
先生 は?
 
康子 おはよう、なんて。
 
誠 新しいボケかな。
 
康子 ギャグセンスないよね。
 
先生 そ、そうかな。じゃあ、どう言ったらよかったんだろ。
 
康子 そりゃあ、やっぱり。
 
誠 こんにちは、でしょ。
 
康子 さようなら、でもいけるよね、今頃なら。お疲れさま、とか。
 
先生 はあ・・・最近はそう言うんだ? でも、やっぱりさ、朝なんだから、先生はおはようがいいなぁ。先生、今のはやりとかわからないから。
 
誠 はあ?
 
康子 いま、なんか、変なこと言いませんでした?
 
先生 変って、「はやりがわからない」?
 
康子 いやそのもっと前。
 
先生 ええと、「おはようがいい」って。
 
誠 いやそこでもなくて。
 
先生 さあ・・・なんか変なこと言ったかなあ、先生。
 
誠 いや、朝って。確か。
 
康子 うん、先生何いってんですか、さっき授業が終わったばかりで・・・あれ。
 
誠 たしか帰りのショートホームが・・・え。
 
先生 みんなこそ、寝ぼけてませんか。まだ1日は始まったばかり(時計を見て)八時四五分、一時間目の授業の時間です。
 
康子 えっと・・・そうだっけ。
 
誠 一時間目の・・・ああ、そうだ。そうだよな。
 
先生 (黒板を見て)あれ、誰だ、こんな落書き・・・昨日の当番、仕事をさぼったな。ちゃんと消しておかきゃダメじゃないか。(黒板の字を消す)
 
康子 あ・・・ああ。
 
先生 うん? どうかしましたか?
 
康子 いいえ、なんでも。なんか・・・その・・・(思い出せない)。
 
先生 あらためて、みんな、おはようございます。
 
康子・誠 おはようございます。
 
先生 さて、今日の授業ですが、先週に引き続いて、積み木遊びをします。ここに積み木を用意しますから、これで好きなものを作りましょう。お城を造ってもいいし、橋とか道路とか作ってもいいですね。先生的には、東京タワー! とかいいと思いますけど。
 
康子 あの、先生?
 
先生 はいはい?
 
康子 やっぱセンスないです、先生。
 
誠 いや、ある意味、面白いかもしれないぞ。
 
康子 馬鹿言わないで。
 
誠 たまにこういう息抜きがあってもさ。
 
康子 何言ってるのよ。
 
誠 先生も先生なりにウケようと思ってるわけだし、そこんとこくんでやるのも俺たち生徒のつとめじゃないかな、と。
 
康子 甘やかしたらダメよ。つまんないものはつまんないって言ってあげないと、マジウケしたなんて勘違いされたら悲劇じゃない。
 
先生 ええと、つまり積み木はしたくない、そういうことですか? それじゃあね・・・えっと、先生、今日は折り紙も用意してきたから。ほら、こーんなにきれいな紙、いっぱい・・・じゃあ、これで好きなものをおる、そういうことでいいですか。
 
康子 ほらね。
 
誠 まあ、なんてか、しつこいな、ここまでやられると。
 
康子 先生、そろそろまじめに授業してください。ボケはわかりましたから。
 
先生 授業って?
 
康子 それとも怒ってらっしゃるんですか。だとしたら・・・それもわかります。たしかにあたしらのクラス、あんまりまじめじゃなかったし。でも、あたしらだって来年は受験で・・・あたしらにも夢くらいもあります。とにかく、これからはまじめに授業受けますから、やりましょう、授業。
 
先生 ええと。
 
康子 ほら、あんたも。
 
誠 はいはい。えっと、そういうわけだから、僕ら心入れ替えますから、その、授業ってやつを、その。
 
先生 ええと、その。
 
康子 お願いします。
 
先生 ええと、つまり、授業がしたい、と。
 
康子 はい。
 
先生 それで・・・その、つまり、まじめに授業を受けたいと。
 
誠 はい。
 
先生 それはつまり・・・ええと確認しますけど、あの、もしかして、その・・・高校の、授業ってコトでしょうか?
 
康子 高校のって、何言ってるんですか、先生。
 
先生 そっか、そう、そうですよね。当たり前ですよね。ええと。
 
康子 先生?
 
先生 あ、ええと、それじゃ、ちょっと準備してくるから、その、ちょっと待ってくれますか?  
 
誠 先生?
 
先生 いや、今日は用意してなくて・・・あ、いや、その、職員室においてきてしまったので。ちょっと待っていてください。ちょっとこれから取ってきます。
 
康子 忘れ物ですか? 先生、相変わらずですね。
 
先生 じゃ、ちょっと行って来ますから。
 
*先生、退場。 
 
誠 なんなんだあれ。
 
康子 なんかね、うちの学校の先生はね、どうもね。
 
誠 けど、あれだ、お前も言うときはいうのな。
 
康子 なんのこと?
 
誠 夢って何だよ?
 
康子 あたし? あ、あたしのなんてたいしたことないよ。
 
誠 言ってみろよ。
 
康子 笑わない?
 
誠 笑わねえよ。
 
康子 ほんとに?
 
誠 俺がこれまで嘘ついたことあったかよ。
 
康子 数え切れないくらい。
 
誠 ま、まあ、そうだ。
 
康子 一番はアレだね、記憶喪失になったって話。
 
誠 ばかやろ、あれはほんとの話だぞ。
 
*とかなんとか話をしながら、二人は先生がおいていった積み木を作り始める。
 
康子 なにいってんだか。「僕は気がつくと、記憶のすべてを失って立ちつくしていた。ここはどこ? 僕は誰だ? ああ、なんにもわからない」・・・テレビドラマじゃあるまいし。
 
誠 ほんとだって。あれは中学の三年の時だから、もう二年も前になるんだな。学校の帰りでさ。そんときは天気は良かったんだけど、風が結構強かったのな。で、俺、そのころは自転車通学だったから。
 
康子 いまはバスだよね。
 
誠 うん。あれからちょっと怖くなっちゃってな、自転車。
 
康子 それ、マジな話?
 
誠 あのな。お前な。
 
康子 あ、ごめん、続けて。
 
誠 そんで、風が強くて、しかも真っ正面から吹いてくるのな。顔も上げていられないくらい。でも、その日はどうしても急いで帰らなきゃなんなかった。アニメの再放送があってさ。
 
康子 はいはい。
 
誠 で、必死でこいだわけ、自転車。こう、体を前に傾けて、なんていうの、前傾姿勢? そう、前傾姿勢。そんで体重、ペダルに乗っけて思いっきりこいで。
田圃の真ん中の一本道だったと思う。そこまで来ればもう家まで一五分、そんな感じで。あともうちょいで「おジャ魔女ドレミ」がみれる、オンプちゃんに会える。
 
康子 誰よそれ。
 
誠 今思うと、そこら辺に油断があったんだと思う。こう、うつむいて、思い切りペタル踏んだら・・・あとは覚えてない。とにかく、がつん、って何かにぶつかったんだよ。思い切り、頭をぶっつけてさ。そんでもう真っ暗。気がついた時は、俺、道ばたにぼーっと立ってて。で、足下にはひんまがった自転車があって、そんで、俺、頭からだらだら血を流してて。
後から思うとさ、多分おれ、ぶつかったんだよ。それもおそらく止まってた車。そいつに俺、うしろからおもっきり、いきなり、そんでもって勝手にぶつかったんだと思う。今思うとほんとに馬鹿みたいだし、まあ、全面的に俺が悪いわけなんだけどな。ただ、いまでもよくわかんないのは、その、ぶつけられた車の持ち主はどうしたんだろうって・・・どうして俺、ほったらかしにされてそこに立ってたんだか・・・そのへんはどうしてもわからない。なんたって覚えてないから。とにかく、俺はぼーっと立ってた。どのくらいかわからない。とにかく、空がよく晴れていたことは覚えてる。空のずっと上の方に、ちいさく刷毛で描いたみたいな雲が一筋あった。
どのくらいたったか、それはよくわからないけれど、いつまでもここにいるわけにもいかないなぁ、そろそろ家に帰らなきゃ、そう思った。でも自転車はぐにって曲がってて、乗るのは無理だし、仕方ない、迎えに来てもらわなくちゃ、そう思って見回したら、すぐ道の反対側に公衆電話があって、ああ、こっから電話して迎えに来てもらおう・・・で、電話ボックスに入って、受話器を取って一〇円玉を入れてプッシュボタンを・・・押そうと思って、そこで気がついた。電話番号が思い出せない。家の電話番号が。なんか頭の中に霧がかかってるみたいで。参ったなぁ、ど忘れしちまって、えっと俺の家族は・・・思い出せない。名前もでてこない。顔なんか全然浮かばない。驚いたよ。なんか頭の中がリセットされたみたいに真っ白なんだから。俺って、家族いたんだろうか。思い出せない。友達はいるんだろうか。思い出せない。おもいだせないということは、いないのと同じだ。この広い世界に、いま、おれはたった一人なんだ。そして・・・そしてずっと一人で生きていくんだ・・・。
 
康子 誠。
 
誠 でもな、変なんだけど、それは寂しくて、悲しい気持ちだったんだけどな・・・どっか嬉しいところもあったんだな。
 
康子 嬉しいって・・・わかんない。
 
誠 なんか・・・うまく言えねぇが、自分のことがなんにも思い出せないって言うのは・・・すごく自分が身軽になったような気がしたんだな。俺には家族がない。だから、どこに行ってもいいんだ。俺には友達がいない。だから、どんなことをしてもいいんだ。それは寂しくてつらいんだけど、とても・・・とても自由な気がした。
 
康子 誠。
 
誠 でもな、それも一五分くらいのことでさ。脳震盪したのが治ってきたんだろうな、少しずつ、記憶が戻ってきて・・・結局は家に電話して、そしたら兄貴が出てきて、「どこにいるんだ」っていうから、どこそこの電話ボックスだ、実は自転車が壊れて頭を打って・・・説明したら、ひでえのな、うちの兄貴。いきなり「ばっかじゃねえか」だって。怪我した弟つかまえて「馬鹿」はねぇよな。でもな、それ聞きながら、俺、ぼろぼろ泣いてたのな。涙がとまんないのな。兄貴とは喧嘩ばっかだったんだけどな・・・。
 
*二人ともなかなか上手に積み木を積み上げる。
 
康子 うまいじゃない。東京タワー?
 
誠 スペースシャトルだよ。
 
康子 見えない見えない。
 
誠 じゃおまえのなんだよ、それ。
 
康子 これは、・・・ヨン様よ。
 
誠 はあ? どこが。どこがヨン様。
 
康子 えっとここんとこが、ほら。
 
誠 ああなるほど・・・ってわかるかよ。
 
康子 あんただってこれのどこがシャトルなのよ。
 
*二人してわあわあしゃべる。しばらくして。
 
康子 どっちが・・・。
 
誠 どっちって?
 
康子 どっちがよかった? 記憶が戻るのと・・・それとも全然戻らなかったとしたら。
 
誠 ・・・・。
 
康子 ごめん、変なこと聞いて。
 
誠 ・・・。
 
康子 忘れてよ、もう。
 
誠 どっちかなあ・・・わからん。ただ。
 
康子 ただ?
 
誠 あの、真っ白な感じは、忘れられない。ときどき・・・夜、寝る前とか、ベッドに入って天井を見上げるときなんか、あのときのことを思い出す。あの、真っ白で・・・空っぽな、あの感じは。
 
*適当に音楽。
暗転。
かと思ったらすぐに照明が戻ってそこは電車の中。満員です。舞台上には二人だけだけど、そこにたくさんの人がいて、ぎちっと身動きできなくなっているとする。
汽車がブレーキをかけたり、駅に着いたりするたびに、押されて二人はどんどん変なポーズになっていく。なお、最初は、列車の中で二人は離れているので、お互いの存在がわからないものとする。
やがてさらに押されて二人は背中合わせに立つ。
 
康子 ちょ、ちょっと押さないでよっ。
 
誠 いた、いたた。
 
康子 ひっぱんないでっ。ちょっと、あんたなにやってんのよ。
 
誠 そこ、踏んでる踏んでるっ。
 
康子 あたしの鞄っ。
 
誠 だからそこ、俺の足っ。
 
康子 大事な書類はいってんだから、ちょっと、やめてよつぶれちゃうでしょっ。
 
誠 ああああああしっ。
 
康子 ええい、うしろ、うるさいっ。
 
誠 だから・・・足・・・。
 
康子 足が何よっ。あたしは仕事がかかってんだからね。
 
誠 足・・・。
 
康子 足が何よ。ちょっと押さないでよっ。
 
誠 ぐわああああ。
 
*康子、首だけ振り向いて誠を発見する。
 
康子 ああもう、なによ・・・あれ。あんた。
 
誠 あうあうあう。
 
康子 もしかして・・・誠? 誠なのかな?
 
誠 あうあう。
 
康子 やっぱそう? なっつかしいなあ。こんなトコで逢うなんてさ。今何やってんの?
 
誠 おまえに。
 
康子 は?
 
誠 おまえに足を踏まれてる。
 
康子 え? あ、これ? あは、あは、なんだこれあんたの足? だったら早く言ってくれたら。
 
誠 言わなかったか?
 
康子 さ、さあ? 
 
*ブレーキ。駅について、客が降りて少し楽になる二人。
 
康子 えっと、大丈夫?
 
誠 まあな。そっちこそ、大丈夫か。
 
康子 え、あたし?
 
誠 なんか仕事大変なんだろ。書類がどうとか。
 
康子 ああ。(鞄を確認して)うん、だいじょぶ。・・・ありがと。
 
誠 なんだよ。
 
康子 優しいね、相変わらず。
 
誠 何バカいってんだよ。
 
康子 誠はさ、今何やってんの。
 
誠 おれ? 見たらわかるだろ。いつも上役にぺこぺこしてるサラリーマンでもないし、安月給でろくに貯金もないサラリーマンでもないし、毎朝満員電車で通勤してるストレスいっぱいのサラリーマンでもないし、ダイエットした方がいいような通りすがりの女に足を踏まれるようなサラリーマンでもないぞ。
 
康子 わかりやすい説明どうも。
 
誠 おまえの方はどうしてんだ? 確か、おまえ、小説家、だったよな、夢。
 
康子 う、うん。
 
誠 みんなに感動を与えられるような本を書きたいって・・・ああ、それ、原稿なんだ。そっかよかったな、とうとうなったんだ、小説家・・・。
 
康子 の、担当者。
 
誠 へ?
 
康子 担当なの、あたし。これは某流行作家先生の原稿で・・・あたしはこうやって受け取って、それからそれを会社へ無事に運ぶのが仕事。
 
誠 そっか。
 
康子 一番下っ端だから、仕方ないんだ。あ、でも、やめてないよ、書くのは。うん。ちょこちょこ書いて、会社の人に見てもらってる。
 
誠 そうなんだ。偉いな。
 
康子 まあね。誠はどう?
 
誠 ミックスド・シグナル・オシロスコープは、ディジタル信号とアナログ信号が混在するエンベディッド・デザインのデバッグに最適です。複雑なエンベディッド・ディジタル・システムで従来の2または4チャネル・オシロスコープを使用して必要なデータに同時にトリガをかけたり、捕捉したりすることは非常に困難なのです。
 
康子 なにそれ。
 
誠 だから、ミックスド・シグナル・オシロスコープだって。会社が売ってる商品だよ。
 
康子 はあ。
 
誠 わかんねえんだろ。
 
康子 う、うん。さっぱり。
 
誠 安心しろ。俺だってわかんねえんだから。
 
康子 でも、誠、それ売ってるんでしょ?
 
誠 わかんなくったって売る。売らなきゃなんない。売ってナンボ。仕事だからな。
 
康子 仕事。
 
誠 そ、仕事。なんたってサラリーマン、ってくらいなもんだ。
 
*ふたたびブレーキ。
 
誠 あ、おれここだ。じゃ、またな。
 
康子 あ。
 
誠 ま、アレだ、ちょっとばかし羨ましいぜ。
 
康子 え。
 
誠 まだ夢を追っかけてるなんてさ。羨ましいっつーか、なんつーか、その・・・悔しい、かな。
 
康子 あ、あたしは。
 
誠 じゃ、がんばれよ。本になったら教えろよ。買ってやるから。あと、ちょっとはダイエットしろ。おまえ、重すぎ。
 
*誠、電車を降りる。電車出発。
 
康子 あ、あたしだって・・・あたしだって。
 
*暗転。
再び、教室らしき空間。
放課後らしき時間。
机。椅子。適当な本棚。
本棚を整頓しようとしている康子。こっそり逃げだそうとする誠。康子、振り向きもせず誠に声をかける。
 
康子 でも嬉しいなあ。やっとみんなもやる気になってくれたわけだ。なんたって、演劇祭まで日がないわけだし。もう、決めなくちゃね、なにやるんだか。もうこんな時期だしさ。ほんとどうしようかと思ってたんだ。だいたいこんな時期まで、脚本がまーだきまってないなんて、うちくらいのもんなんだから。なのにさ、いっつも「残ってねー、そんでみんなで脚本書こうよー」って言ってるのに、気がつくとだーれものこってなくてさ、
 
*誠、そろそろと逃げようとしていたが、ぎく、と立ち止まる。
 
康子 あたしがこーやって脚本集とかビデオとか整理してるじゃない。時間にしてそうね、1分かそこら? 大した時間じゃないよね。なのに、はっと気がつくともう誰もいないの。なんだろ、あの素早さ。音もしないしさ。忍者? 絶対靴の音とかすると思うんだけど、やっぱアレ、みんな裸足になってたわけ? 鞄とかバッグ両手にもって、てことは靴は口にくわえてかな。ね、みんなそんなことマジでやってたわけ?
 
*誠、その通りの格好だったりする。で、逃げそこなう。
 
康子 まさかね。そこまでするわけないよね。ほんというとさ、ちょっと疑いかけてたんだよね、みんなのこと。やっぱりさ、今日もさぼっちゃうんじゃないだろうか、やっぱりにげちゃって、そんでやっぱり何にも決まらなくて、あたし一人で脚本考えなくちゃならなくなって、みたいな。でもよかった、やっぱりみんなを信用してて。疑ったあたし、ちょっとブラックだったよね。ブラックあたし? 「私を打て、セリヌンティウス」って感じよね。疑った悪い私サヨナラ、すてきな友情こんにちは、って感じよね。
 
*黒板に「演劇部万歳」「腹筋一万回」「野球少年鈴江俊郎」「脚本を書くときに神様が降りてくる、なんていうやつはボケじゃ」とかわけのわかんないコトを書きはじめる。
 
誠 わかってるんだろ。
 
康子 ・・・うん。
 
誠 だったらその。
 
康子 わかるわよ、いくらなんでも。
 
誠 だったら。
 
康子 だったら何。
 
誠 いや、なんでも。
 
*康子、くるっと振り向く。思い切りの笑顔。
 
康子 さあ、みんな、今日みんなに残ってもらったのは、県大会の脚本を書くためです。
 
誠 あ、あのさ。
 
康子 高校演劇祭も目前に迫ってきた今日この頃、わがドンドコ高校演劇部としても、どんな劇をやるのか、決めなくてはならない時期になりました。昨年は手間のかかる創作脚本ではなく、しっかりした既成脚本を早く選んで、その分余った時間を稽古に当てようと言うう顧問の田中先生の提案にもかかわらず誰一人まじめに練習せず、ためにキャストのほとんどがセリフをど忘れし、全員が沈黙すること七回、脚本をワープすること五回、ために六〇分の劇をなんと三五分で終えてしまうという奇跡を成し遂げました。上演後の幕間討論においては、客席より質問などはもちろんなく、司会の生徒の「どなたか質問・ご意見はありませんか」の声と我が演劇部員の「よろしくお願いします」の声はむなしくホールに響き、それでも何の反応もなく苦い雰囲気のままわたしたちがホールを後にしたのは記憶に新しいところです。
 
誠 わ、わかった。あんときは、あんときのことは、その。
 
康子 あたし、全然根に持ってないからね、誠。
 
誠 ・・・持ってるだろうが。
 
康子 ほんとちっとも。過去のことにこだわるなんて、あたしはそんなに心のせまい人間ではございません。「若者は過去の悲しい思い出にこだわることなく、常に新しい未来に向かって歩み続けなくてはならないのです。それこそが若者の特権であり、若者であることの証明なのであります。」
 
誠 ちょ・・・ちょっと待て。
 
康子 「だからこそ、みなさんは毎日を悔いのないように生きてほしい。後になって、ああ、こんなはずじゃなかった、そんな悲しい人生ほど悲しい人生はないので・・・」
 
誠 なんか・・・なんかおかしくないか。
 
康子 な、なにがよ。
 
誠 いや、なんか・・・俺たちは何をしてるんだ?
 
康子 なにって、脚本を。
 
誠 脚本・・・だよな。
 
康子 そうよ。そのはずで・・・おかしくないわよね?
 
誠 ああ・・・そうだよな。
 
康子 とにかく・・・脚本考えようよ。
 
誠 ああ、そうだな。なんか、アイディアあるか。
 
康子 えとね、あたし、こないだの演劇研修会、行って来たじゃない。
 
誠 あ? そんなのあったか。
 
康子 何覚えてないの? たしかあんたも参加したでしょ。装置の方だったか。
 
誠 そうだった・・・かな。
 
康子 頼りないの。まだ記憶喪失の後遺症、残ってんじゃない。
 
誠 うるさい。で、それがどうしたんだ。
 
康子 あたし、脚本講習だったわけ。京都の何とかっていう劇団の、なんとかっていう人が講師できて。
 
誠 お前も覚えてないじゃねえか。
 
康子 うるさい。でね、なんだか知らないけど話のめちゃくちゃ面白いひとでさ、もう、会議室は大爆笑なわけ。ただ、どうやったら脚本が書けるんだ、ってことになると「書けません」「すぐに書けるくらいだったら僕は怒ります」なんて言うのね。
 
誠 なんじゃそら。
 
康子 「脚本書くのは泳ぐのと一緒で、結局は泳いでみるしかないんだ」「書こうとするとものすごくつらいと思います」「心が筋肉痛を起こします」」自己嫌悪の大波が襲ってくると思います」
 
誠 わけわからんけど・・・なんだ、結局書けないってコトか。
 
康子 うーん・・・そうでもないみたいで、大事なことはまず、登場人物を決めて、決めたら次は困った状況を考えるんだって。
 
誠 困った状況って何だ。
 
康子 たとえば・・・たとえば・・・困った状況だよ。
 
誠 お前が困ってんじゃねえか。
 
康子 ええと・・・そうだ、記憶喪失の話でもいいじゃない。
 
誠 はあ?
 
康子 あんた言ってたでしょ。記憶喪失になったことがあるって。
 
誠 ああ、言ったけど。
 
康子 こんなのはどう。主人公たちは謎の病気にかかってしまう。なんか新種のウィルスかなんかで、それにかかると、脳細胞に異常が起こる。そんで、どんどん記憶が失われていく。
 
誠 おいおい。
 
康子 記憶は・・・新しい記憶からなくなっていくことにしよう。最初は今日のことを忘れてしまう。昨日までのことしか覚えていない。ほんとは六月四日なのに、3日だとおもってしまう。4日にあったこと・・・友達と映画を見たことや、親と喧嘩したことや、新しいスカートを買ったことも覚えていない。ただ、友達は、自分が見たこともない映画の話をしゃべってくるし、親は何となく不機嫌だし、クローゼットには見たこともないスカートが入っている。
次の日には3日のことを忘れてしまう。学校で勉強したことや、親戚のおばさんが亡くなったことや、好きな彼にメールを送ったことも忘れてしまう。でも、授業はさっぱりわからなくなって行くし、おばさんの家に行って「おばさんどこに行ったの」と口走って気持ち悪がられるし、彼からはなぜだか避けられてしまい、その理由がわからない。
次の日にはまたもう一日分、さらに次の日にはもう一日分・・・そうやってどんどん記憶は消えていく。毛糸のセーターをほどくように、主人公の記憶はほどけていく。ほかのみんなは未来に向かって進んでいくのに、二人はどんどん過去に向かってさかのぼっていく・・・いつかゼロにたどりつくまで・・・。
 
誠 おい。
 
康子 (我に返って)え。なに。
 
誠 なんだかわかんないけど・・・おれはどうもそういうエスエフっぽい話はどうもな。
 
康子 そう?
 
誠 で、次はどうするんだ。そのまんま、どんどん子供になってくのか。中学生になって、小学生になって・・・。それだと、劇がおわっちまうだろ。最後は赤ん坊になって、みたいな。
 
康子 ああ、その講師の先生はね、次に考えるのは、それを解決する、解決策を考えなさいって言うんだ。お客さんも納得するような、解決策。
 
誠 って・・・治療薬でも見つかるとか?
 
康子 それじゃダメだろうな。あんまり簡単すぎるから。
 
誠 だろうな。
 
康子 ええと、もっとよく考えてみなくちゃ・・・もし、そういうことになったら、あたしはどうするだろう、みたいに。
 
誠 俺なら・・・何にもしないかな。
 
康子 何にもしない?
 
誠 しても無駄だろ。なにやっても、それはなくなっちまうんだから・・・毎日好き勝手にくらすかな。
 
康子 でもそれじゃ、解決にならないじゃない。
 
誠 じゃあ、暴れてみるか。「俺はもうダメだー」とかなんとか叫んで。窓ガラス割ったり、近所の犬を蹴飛ばしたり、バイクに乗って暴走したり。
 
康子 カバ。
 
誠 お前はどうするんだよ。なんか良い考えあるのかよ。
 
康子 それは。
 
*先生、入ってくる。
 
先生 はーい、おはようございます。みなさん、元気ですかー。
 
誠 先生。
 
先生 ええと、今日の授業は、この前の続きで。
 
康子 なにいってんですか、先生。
 
先生 は?
 
康子 授業だなんて。
 
誠 新しいボケ・・・かな。
 
康子 ギャグセンスない・・・よね。
 
先生 そ、そうかな。じゃあ、どう言ったらよかったんだろ。
 
康子 そりゃあ、やっぱり・・・ええと。
 
先生 (黒板を見て)あれ、誰だ、こんな落書き・・・昨日の当番、仕事をさぼったな。ちゃんと消しておかきゃダメじゃないか。(黒板の字を消す)
 
康子 あ・・・ああ。
 
先生 うん? どうかしましたか?
 
康子 いいえ、なんでも。なんか・・・その・・・(思い出せない)。
 
先生 あらためて、みんな、おはようございます。
 
康子・誠 おはようございます。
 
先生 さて、今日の授業ですが、積み木遊びは先週でおしまい、今週からはあやとりをします。あやとりっていっても馬鹿に出来ませんよ。指先を細かく動かさなくてはならないし、それにたくさんの糸をいっぺんに扱うから、頭も使います。つまり体の機能回復には最高の遊びなんですね。
 
*糸が配られる。
二人はのろのろと糸を操り始める。
先生は二人を観察して書類に書き込んでいる。
やがてうつむいて眠ってしまう誠。
照明が暗くなる。康子と先生にだけ、光が。
 
康子 先生。
 
先生 なんですか。
 
康子 ここは、演劇部室じゃ、ないんですね。
 
先生 ええ、ちがいます。
 
康子 ここは、教室でも、ないんですね。
 
先生 ええ、違います。
 
康子 じゃあここは、どこなんでしょう。
 
先生 思い出せませんか、まだ。
 
康子 私は、誰ですか。
 
先生 思い出せませんか、まだ。
 
康子 彼は、誰ですか。
 
先生 思い出せませんか、まだ。
 
康子 まさか・・・ウィルスが。
 
先生 いいえ、そんなウィルスは存在しません。これはエスエフではありませんから。
 
康子 先生は、誰ですか。
 
先生 いいえ、わたしは先生ではありません。
 
康子 それでは、あなたは誰ですか。
 
先生 思い出せませんか、まだ。
 
*白衣の人影が数人出てくる。誠と康子の手を取って立たせる。二人とも腰が曲がってまともに歩けない。あたかも老人になったように足下が危うい。白衣の人影は介護するように二人を支える。二人はゆっくり横になり、眠る。
暗転。
適当な音楽。
そこは公園。ハトの羽ばたき。ベンチに座っている誠。エサをやってたりして。
 
誠 庭に
今年の菊が咲いた
 
子供の時
季節は目の前に
一つしか展開しなかった
 
今は見える
去年の菊
一昨年の菊
一〇年前の菊
 
遠くから
まぼろしの花たちが現れ
今年の花を
連れ去ろうとしているのが見える
ああ この菊も!
 
そうして別れる
私もまたなにかの手にひかれて   (石垣りん「幻の花」)
 
*康子、登場。隣に座る。
 
康子 食わずには生きてゆけない
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金も心も
食わずには生きてこれなかった
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっている
にんじんの尻尾
鳥の骨
父のはらわた
四〇の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙 (石垣りん「くらし」)
 
誠 誰が四〇だよ。
 
康子 うるさいわね。あんたこそ何よ、「何かの手にひかれて」? ヘルパーさんの手にひかれて行くのは、トイレかお風呂でしょうが。
 
誠 二〇年前か、それとも三〇年前かよ?
 
康子 あんた、あれはセクハラよ、セクハラ。あんな若い子に世話させるなんて、お役所は許しても世間が許しません。あたしが許しません。
 
誠 ああ、ミドリちゃん、アレはいい子だろ。なんたって若い。ピチピチしてる。もー、それだけで○。それだけでOK。
 
康子 何惚けたこといってんだか。
 
誠 そりゃ俺だってあんな可愛い子に世話かけたくないよ。俺だって男だ、プライドってものがあるからな。けどさ、しかたねーんだよ。こないだこけちまってさ、敷居んとこで。したらボッキリよ。
 
康子 うわ。そりゃ大変だったねえ。
 
誠 いや、それはいいんだ、それは。問題はうちの嫁でさ。あの、ほら。
 
康子 裕子さんだろ。
 
誠 そう、その裕子。あれがまたきつい嫁でな、「おじいさん、もっと年寄りらしくじっとしていてくださいな、けがされて迷惑するのはあたしたち家族なんですから」だとさ。ちっとはこっちの身体を心配しろっての。
 
康子 あっはっは、嫌われてるねえ。
 
誠 人のこと言えるのかよ。お前んとこだって似たようなもんだろうが。
 
康子 あたしのところは、ほら。
 
誠 昼間っからこんなとこにいるんだからな。どうせケンカでもしてきたんだろうが。
 
康子 あ、あたしはちゃんと家族に大事にしてもらってるわよ。あたしはほら、可愛いから。
 
誠 バカ言え。俺だって負けねえぞ。今日だって、電車で席譲ってもらったんだぞ。
 
康子 ふうん。
 
誠 それがまたピアスして茶髪してズボン腰まで下げてるあんちゃんでさ。けどこのあんちゃんがさ、俺を見たらぱっと立ち上がってさ、「じいさん、ここすわんなよ」・・・アレだよな、日本の未来も明るいかもな。
 
康子 荷物は持ってもらえるし、横断歩道なら手を引いてもらえるし。行列に並んでも順番先にしてくれるし。
 
誠 ちょっと腰が痛いけどさ。
 
康子 階段で息が切れちゃうんだよね。
 
誠 でもそういうときは、だれかがなんか手を貸してくれるから。
 
誠 結構楽? なかなか年寄りもいいって感じ?
 
康子 そうそう。
 
誠 こんなことなら、早く年寄りになっとくんだった、ってか?
 
康子 早く年寄り、はいいよね。
 
*ちょっと間。
 
誠 ときどき思うんだが。
 
康子 なに。
 
誠 もう勉強も仕事もしなくていい・・・ってのがなんか不思議で。
 
康子 不思議って、どうして。
 
誠 なんか夢みたいな気がするんだ。この・・・今の自分が。なんにもしなくていいっていうのが・・・あと、どうしたらいいんだか。
 
康子 あたしもだ。結婚もしたし、子供も作ったし、年金もついて・・・あとは何やったらいいんだろうな。
 
誠 暴れてみるか?
 
康子 それでなんかなるわけ。
 
誠 ならないだろうな。
 
康子 あたしね、バイクとかああいうので夜中走ったりするヤツラって大嫌いだったのね。うるさいし、危ないし、近所迷惑だし、意味ないし。でもさ、あれって意味があったんだね。ていうか、意味があるって思いこんでるわけで・・・それって、今のあたしたちからすると、かなりうらやましい。
 
誠 ・・・。
 
康子 おい。
 
誠 あ、ああ。
 
康子 やだ、寝てたの。
 
誠 なんか眠くてな。朝は早くに目が覚めちまうんだけど、その分昼が眠くて。そんなことないか。
 
康子 あるけど。トイレとか近くなった気がするし。
 
誠 そうそう、アレ困るよな。しかもアレだ、昔は切れがよかったはずなのに、このごろはしまいこんだあと、ちょろちょろって出ちゃうのな。パンツもズボンも「汚れっちまった悲しみに」ってやつだ。
 
康子 何バカいってんの。
 
誠 それにさ。
 
康子 なに。
 
誠 今の、この俺たちだって・・・明日になったら、今の会話も覚えていないかもしれない。
 
康子 そんなこと。
 
誠 ない、とは言えないだろ。
 
康子 う・・ん。
 
誠 こないだな、面白い本見つけたんだよ。すごく面白くて、徹夜して読んだ。で、最後の方になんか書き込んであるんだよ。鉛筆で。感想が細々と。で、よく見たら・・・俺の字だった。
 
康子 ・・・。
 
誠 何度も何度も、俺は同じことを繰り返してるんじゃないか。俺の人生って、それだけのものなんじゃないか。同じようなことをおんなじように何度も何度も・・・気がつかないだけで、無駄なことをやってる、そんな気がすること、ないか。
 
康子 ある、かな。
 
誠 実感がわかねえんだ・・・。
 
康子 うん、全然実感わかない・・・。
 
*二人沈黙する。先生静かに登場。
 
先生 おはようございます。みなさん、元気ですか。
 
康子・誠 おはようございます。
 
先生 嘘です。ほんとうは「こんばんは」です、みなさん。
 
康子・誠 こんばんは。
 
先生 嘘です。ほんとうは「おやすみなさい」です、みなさん。
 
康子・誠 おやすみなさい。
 
先生 おやすみなさい。
 
康子・誠 おやすみなさい。
 
先生 おやすみなさい。・・・良い夢を。
 
*うつむいて動きの止まる二人。にっこり微笑む先生。
暗転。
適当な音楽。
 
*教室らしき空間。
放課後らしき時間。
机。椅子。適当な黒板。
黒板をきれいにしようとしている康子。こっそり逃げだそうとする誠。康子、振り向きもせず誠に声をかける。
 
康子 でも嬉しいなあ。やっとみんなもやる気になってくれたわけだ。なんたって、卒業式まで日がないわけだし。もう、決めなくちゃね、なにやるんだか。ただ、卒業卒業証書もらって、ただ校長先生とか来賓だとか教育委員会だとかのつまんねー話聞いて、それで卒業式なんてつまんない、わが三年五組としては、自分たちの、自分たちによる、自分たちだけの祭りがしたい、そういう趣旨でみんなに集まってもらったのよね。
なのにさ、「残ってねー、そんでみんなで話し合って何やるか決めようねー」ってあたしが言ってるのに、気がつくとだーれものこってなくてさ、
 
*誠、黙って聞いている。
 
康子 あたしがこーやって黒板とか拭いてるじゃない。時間にしてそうね、1分かそこら? 大した時間じゃないよね。なのに、はっと気がつくともう誰もいないの。なんだろ、あの素早さ。音もしないしさ。忍者? 絶対靴の音とかすると思うんだけど、やっぱアレ、みんな裸足になってたわけ? 鞄とかバッグ両手にもって、てことは靴は口にくわえてかな。ね、みんなそんなことマジでやってたわけ?
 
*誠、黙って聞いている。
 
康子 まさかね。そこまでするわけないよね。ほんというとさ、ちょっと疑いかけてたんだよね、みんなのこと。やっぱりさ、今日もさぼっちゃうんじゃないだろうか、やっぱりにげちゃって、そんでやっぱり何にも決まらなくて、あたし一人で卒業式の企画考えなくちゃならなくなって、みたいな。でもよかった、やっぱりみんなを信用してて。疑ったあたし、ちょっとブラックだったよね。ブラックあたし? 「私を打て、セリヌンティウス」って感じよね。疑った悪い私サヨナラ、すてきな友情こんにちは、って感じよね。
 
*黒板に「3年5組卒業式」「僕らの友情は永遠」「贈る言葉」「武田鉄也」「なんですかー」「金八先生はもうそろそろ終わった方がいいんじゃ」「いや僕はあれで教師になろうと思ったし」とかわけのわかんないコトを書きはじめる。
 
誠 わかってるんだろ。
 
康子 ・・・うん。
 
誠 だったらその。
 
康子 わかるわよ、いくらなんでも。
 
誠 だったら。
 
康子 だったら何。
 
誠 いや、なんでも。
 
康子 あたしはあたしの信じていることをするしかない。それしかないじゃない。あたしは高校生なの。総入れ歯で腰が曲がっててリュウマチでまだらボケが始まっていて明日はもうないかもしれないけど、でも、あたしは花の女子高生なの。
 
誠 康子。
 
康子 あんたはどうよ。どうするのよ。それとも犬でも蹴飛ばしてみる?
 
誠 ・・・わーったよ。
 
康子 誠。
 
誠 おれだって・・・おれだって花の男子高校生だ。
 
*適当な音楽。
幕。